境内の見どころ・
参拝スポット
岩屋寺独特の奇岩が並び立つ景観は、古第3紀中部始新世(今から5000万年前頃)に、海(入江)の凸凹の激しい結晶片岩の基盤の上に堆積した結晶片岩類を含む礫岩層が、断層運動による地盤の隆起、その後の浸食作用の結果、現在のような地形を呈するようになったものと考えられています。
堂宇は、明治31年(1898)の大火で、仁王門と虚空蔵堂をのこして什物諸史料等ともども消失したため、現存の多くは、後に再建されたものです。
本堂
現在の本堂は昭和2年(1927)に落慶しました。
一見して、大師堂よりも小さな構えは四国霊場寺院の中でも特異なものですが、山全体を本尊とするという縁起のとおりに、背後の巨岩(金剛界峰)と一体となるよう建てられています。本尊不動明王は秘仏。毎月28日(不動明王の縁日)には護摩祈祷が行われます。
大師堂
大正9年(1920)に落慶した現存の大師堂は、松山市出身の河口庄一により設計されました。伝統的な寺院建築を基調としながら、各部の意匠には西洋風の要素を多数取り入れた近代和風建築の代表的な建物として、平成19年(2007)に、国の重要文化財に指定されています。旧暦3月21日には、弘法大師慶讃法要が行われます。
岩屋
そそり立つ巨岩の絶壁に点在する岩窟(岩屋)には、いにしえより、多くの僧が籠もり修行を行っていたといいます。本堂そばの岩屋(法華仙人堂跡)には、はしごで上ることができ、巨岩と巨樹に囲まれた境内を一望できます。
仙人堂跡の上方の岩窟には、いつだれがどのようにおまつりしたのか、阿弥陀如来像が安置されていて、江戸時代初期の遍路絵図には洞弥陀と描かれています。大師堂奥の仁王門付近から遙拝することができます。
穴禅定
(あなぜんじょう)
昔からの修行の場である本堂下の深さ10数メートルの洞窟には、地蔵尊、不動明王、弘法大師の石像をおまつりしています。お水まつり(先祖供養)のお地蔵さん、願かけの「かなえるお不動さん」として、多くの参詣者の信仰を集めています。
弁財天
虚空蔵堂裏の岩窟には弁財天がおまつりされています。財を弁ずるの文字通り、金運向上にご利益があると言われます。また、弁才天とも表わされ、芸事に携わる人々の信仰を集めています。
道開不動尊
(みちびらきふどうそん)
参道の途中、虚空蔵堂の背後にまつられている石造の不動明王です。新しくものごとを始める時や難局に当たって行き詰まった時に祈念すると、おかげがあるとされ多くの方にお詣りされています。
仁王門
八丁坂越えの遍路道からの入口はこちらです。 寛政2年(1790)に兼鐘楼・洞阿弥陀遙拝所として建立され、明治の大火でも焼失を免れました。本来は茅葺き屋根の建物ですが、昭和時代の中頃にトタンが被せられ現在に至っています。建物、仁王像ともに老朽化が進み、修復が急がれます。町指定文化財。
虚空蔵堂
(こくうぞうどう)
延享4年(1747)建立。
扁額に刻まれた「雨寶(宝を雨降らす)」の文字が、智慧や財の宝を無限にもたらすという、虚空蔵菩薩のご利益を象徴しています。
奥の院
一遍聖絵(国宝・神奈川清浄光寺藏)にも描かれる修行の場。大師堂奥の山門から、さらに山道を進むと「逼割禅定(せりわりぜんじょう)」が待ち受けています。
巨岩を真っ二つに割ったような狭路を抜け、絶壁を鎖とはしごで登った先に白山権現をおまつりしています。山頂からは石鎚山をはじめ、周囲の山々を見渡す大パノラマが広がります。
*お参りの際は、境内納経所にお声
掛けください。
・奥の院への参拝者には入り口の
鍵をお貸しします。
・逼割禅定入山志納金 300円
(併三十六童子行場納札)
三十六童子行場
およそ50年前に開かれた修行の道。不動明王の身近にあって様々な役割を担っている三十六童子の石造仏が、お山全体におまつりされています。
毎年5月5日には、子どもの健全成長を願うお祭りが開催され、多くの人々がこの道を巡ります。
*三十六童子行場納札 300円
(境内納経所にお声掛けください。)
山門
山麓からの参道に、昭和9年(1934)建立。
当時の住職の代替わりにあわせ、わずか3ヶ月で完成しました。
遍照閣
平成26年(2014)に落慶した、法要や行事の際と、瞑想等の体験にご利用いただく施設です。
地階には地元材をふんだんに使用したテラスを設け、景色を楽しめる休憩所としてご利用いただける他、季節ごとのお接待の場として活用されています。